平成3年9月にお寺に戻った。19年会社員の経験
平成3年9月にお寺に戻りました。19年会社員の経験があります。
いちばん面白かった40代でしたが、先代が63歳で亡くなった。
平成2年6月のことです。
平成元年に手術、仕事を休んで病院へ駆けつけましたが時すでに遅し。
あと1年持つかどうかの状態でした。
そしてすぐに会社を辞めるかどうかの決断に迫られます。
二者択一。身体が二つあればどれだけよかったか。
そう簡単に会社を辞められるわけもいかず、
当時はこの二つの道をどう判断していいかわからず、日々、悩み続けました。
当時は勤め先の栃木と奈良の往復をしていました。
病院の帰り、夜行バスを乗り継いで栃木県大宮あたり。
くたくたに疲れていて思わず電車で乗り過ごしてしまったのです。
気がつくと宇都宮。また戻らないといけません。会社の遅刻は確定。
次の電車まで30分の待ち時間があったので、
宇都宮のホームで時間をつぶそうとふと本屋に立ち寄りました。
すると、高くつまれた仏教書が、浄土真宗の本がたまたま目についたのです。
「そうか、仏教は悩んだときのヒント、今悩みの答えが見つかるかもしれない」
惹かれるように読み進みました。わかる気配、ニオイがする。そんな予感が・・・
その仏教本を買って読みながら、会社に向かいました。そして答えが少しずつ見えてきました。
なるほど。そうか、自分の判断基準。道しるべになった。
こういうものは結局、人に相談しても答えは出ない。
自分を突き詰めて自分も改めて見つめ直した。そうしていくうちに答えが見つかった。
会社に勤めて19年やれたのも、怖いもの知らずで、
物怖じせず行けたのは、お寺がバックにあったから。
そう帰る場所があったから、それが良い方向に進んでいただけ。
困ったときはいつでも帰れると、どこかで思っていたのかもしれない。
そう考えると物心ついたときから仏さんの顔を見て育ったのだ。
ずっと覚えていた。会社にいても心のどこかにあった。
あらためて「もう寺に戻らない。会社だけ」と考えてみた。何か違和感がある。
そう、このころから違和感が出てきた。
自分からお寺を取ったら、手も足も出ない人間だと悟った。
さぁいつアクションを?と考えたが、やはり19年間通った会社を辞めるというのは
勇気がいるもったいないという惜しさがあった。
そんなとき、父親が亡くなった。
お寺は、しばらく親戚に兼務してもらっていた。父親が亡くなった年の秋のこと。
ものすごい台風がやってきて、仏殿に雨漏りがすると連絡があった。
このとき、兼務をしていた親戚はお寺にはおらず、母親がひとりいただけだった。
大工さんに見てもらうと、屋根が腐っているのこと。
大急ぎで大工さんに見てもらうと、屋根が腐っているのこと。
本格的に改修が必要だということで決心し、壇家さんに相談した。
お寺の改修は半端な金額ではありませんから。
しかも隣の弥勒堂も老朽化が進み、傾いていました。
当時、弥勒堂には小さな木で出来た仏像を奉っていました。
それが傾いていたのです。
本堂と弥勒堂の見積もり金額は半端ではありませんでした。
結局寄付を集めることとおなりますが、
壇家さんからは、会社をさっさと止めないと物事進められません、
あなたはどうするのか、継ぐ意志はあるのかを迫られました。
結局いろいろあって、翌年9月、会社を辞めて戻ってきました。
これも何かに導かれたのではないでしょうか。
そしてここでも変な事象が起こります。
弥勒堂を建て替える際、建物を壊した後、発掘をしないといけないということになりました。
そして、なんと石野仏さんが出土したのです。
これはとてもおおごとでした。
サラリーマン時代の栃木県で、自分のお寺のこと新聞で知りました。
大手新聞各紙の3面記事トップ、カラー刷りで掲載。
しかも全国テレビニュースでも報道しているではないですか。
腰を抜かしました。日本最古の石仏出土!奈良県石光寺。
これはもうお寺へ戻らないといけない揺れていた心の最後の決め手となった。
これ以上壇家さんに負担をかけられない状態でした。
石の仏さんのおかげで、背中を押してもらったのです。
もちろん壇家さんも、一生懸命、ほんとよく動いてくれました。感謝しています。
マイナス、マイナス、マイナス要因の後にプラスがやってくる。
今にして思えば、自分とお寺の縁を保つために、
いろんな形として自分に現れた現象だったのかもしません雨漏りにしても、都合悪い話。
それが最後にプラスに転じてました。
全部、そう、みんな繋がっている。その時、思いました。
仏教というのは、まさに縁起の教えであると。
いいとこ取りするんではない、良い事と悪いことは繋がっています。
導かれるように、非常に不思議です。仏さんはありがたい。
追いつめられて自分がどんな決断するか考えるかということです。
ひらりひらりと、かわしきれるものではないです。
真正面から越えなければ、次のマイナスがまた来るだけ。
かっこいい生き方ではないけれども、死ぬまで越え続けないといけないのかもしれません。
真正面から越えなければ。