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住職の想い【第3回】お寺を継ぐ、牡丹の育成に四苦八苦

先代の病気の知らせを受けて18年ぶりに戻ったお寺。右も左も分からず牡丹の育成に四苦八苦する日々。

先代の病気の知らせを受けて18年ぶりに戻ったお寺で牡丹と再会

ところが人生はそうそう、自分の思うようにはいかないもの。ちょうど会社勤め18年目の時です。先代はもちろん、家とは没交渉になっていました。先代のほうは「お寺出て行ってからに」と思っていたんでしょうね。手伝いにも帰ってこない。私ももう、お寺には帰りづらい状況でした。 そうしているうちに、弟から会社に電話があったんです。親父が病気なった。ガンだと。ただ弟も「一応連絡しとく。来る来ないは兄貴の勝手や」と。まあこんな調子です。親不孝をしているのは私ですから、弟のほうも気持ちはどっちかいうとそっぽを向いている。一応連絡までということで電話をくれた程度です。 それで18年ぶりにお寺に戻ってきまして境内を見ますと、自分が小さい時の牡丹がまだ残っていました。当時の写真に写っている牡丹が、その時はまだ腰くらいの高さだったけど、これがもう肩くらい、もっと大きくなっている。幹も太くなっている。

あぁ…まだ生きていたんだと。自分がお寺にいない間、それでもこの牡丹はスクスク育っていた。先代のいろんな思いで育ってくれたんだなと思った訳です。

何と言いますか、牡丹と会話できるような感じ。何とも言えない懐かしさを感じましたね。でも、そんなこと言っていられません。先代は入院していますから、すぐにタクシーで病院へ駆けつけました。それで手術は成功しましたが、お医者さんがおっしゃるには、リンパに転移していないことを祈るばかりですと。早い話が、もうどちらかというと手遅れだったんですね。それでたいへんなことになったなと思って、でも思ってみても仕方ない。私がお寺を飛び出していた間、先代はだいぶ無理をしてこんな病気なってしまったのかなと。いろんな思いが湧き起こりましたね。

右も左も分からず牡丹の育成に四苦八苦する日々

それでとうとう先代が亡くなりまして、このお寺を継ぎました。でも牡丹の世話なんて右も左も分からない訳です。昔ちょっと手伝った記憶を頼りにやってみても、植物が好きだという思いだけはあったんですが、じゃあいざ具体的に牡丹の育成というと、なかなかうまくいかない。頭の中で思っているのと、実際にやってみるのとでは、やっぱりちがうんです。先代が書いた本を見ながらいろいろ育ててもみましたが、まあ難しかったですね。

その時にこう思いました。「親父、こんな難しいことよくやっていたな」と。あんなに夜遅くまで時間かかるのも当然だと。人に任さないで、自分が納得できるまでやっていたんだから。

その時にですね、先代が夜遅くまで牡丹の世話をする姿を見て、「このお寺嫌だ」と思った自分が、何とも情けない気持ちになりました。その時のツケが今まわってきたなと。引き継ぎもできないでお寺に戻ってきて、今になって先代の苦労が分かったって、後の祭りというやつです。だけども、そうも言っていられない。お客さんは来ますので、牡丹を枯らす訳にはいきません。品種を絶やしちゃいけないという一念ですよね。だからお寺に戻ってきてからは、背に腹はかえられないという気持ちでした。必死。死ぬ気になって接ぎ木しました。そしてダメ元で、100本接ぎ木したら5つくらい着くだろう、という気持ちでやってみまして。でもやっぱりほとんど失敗。11、2本しか着かなかったです。

そうやって失敗しながらも毎年やってきたら、最終的には接ぎ木したうちの90%まで着くようになりました。技術的には先代の足元にも及びませんけども、だんだん“様”になってきたというやつです。 そうして後で気がついたら、先代と同じように一所懸命、牡丹の世話をするようになっていましたね(笑)

名前の分からない牡丹たちが気になるように

それでまあ、そこそこやってきて心が落ち着いてきた時に、今度は牡丹の種類のことが気になってきました。ウチには、あまり世間には出回っていない品種の牡丹がたくさんあると聞かされていたので。大阪池田や宝塚で作られた、関西牡丹という古典品種。名花といわれる、何とも言えない上品な素晴らしい花が、ものすごく多い品種です。他の牡丹の業者さんが持っていない種類もけっこうありました。

そういった牡丹について、古い古典品種の牡丹の図鑑を引っ張り出して照合したりして品種を調べたんですけども、なかなか名前が分からない。それで島根や新潟の牡丹園、それに福島の須賀川牡丹園という、こちらは牡丹の株を7千本、1万本植えているような、日本で一番大きな牡丹園ですけども。そこへ行きましたら、古い品種の牡丹が、ちゃんと名前の札を立てて植えてあって、名前が分かるんです。ウチにもある古典品種の名花といわれる牡丹が、ここにもちゃんとあるんだと嬉しくなりましたね。

だけどひとつだけ、どうしても名前の分からない牡丹がありました。

名前の分からない花は、Sの1番、2番、3番というように、最初は記号をつけて品種を維持するんですけども、これらの名前が分かると、記号を消していく。でも、Sの11番というやつ。この牡丹の名前が分からない。結局、須賀川牡丹園でも分からないまま、残念至極の気持ちで戻ってきましたね。これはもう、記号を付けたままで品種を維持していこうと心に決めて、一所懸命に接ぎ木して、増殖して、補植苗をたくさんこしらえています。