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住職の想い【第4回】夢枕に立った先代、名前の分からない牡丹

牡丹の世話をするほどに分かってきた先代の気持ち。ある時、夢枕に立った先代が名前の分からない牡丹のことを…。

牡丹の世話をするほどに分かってきた先代の気持ち

そうして何度か、牡丹のシーズンを迎えます。もう名前の分からない牡丹のことは、半分諦めていました。調べようとする気持ちも、どちらかというと薄れていて。だけども時々「何て名前なんだろうな」と、思い起こすこともありました。あぁ…先代が生きていてくれたら分かるのになぁ…と。ちゃんと他所のお寺の息子みたいに、真面目にお寺を引き継ぐという気持ちで一所懸命やっていたら、こんなことにはならなかったのに。自分みたいにフラフラしていたから、こんなことになったと。まあ、たかが牡丹一株(Sの11番のこと)なんですけど、これが自分の姿なんだと。

先代がこんなことを言っていたのを、ちょっと覚えているんです。「牡丹ぎょうさん植えて、お客さんえらい来てくれはって、こりゃええわ。せやけどなー…こんなん、息子に後継げと、オレはこんなことよう言わんわ」と。先代がこう言っていたと、人から聞いたんです。

それを聞いた当時、私はちょうど進路についていろいろ考えていた時ですけども、「何を月並みにええかっこ言ってるか」と。心の中でそう思っていました。そんな気もないくせにと、それくらいに思っていました。まあ、ちょっと父親と意見が合わない時期でもありましたので。でも人間の心って複雑でしてね。何をええカッコを、と思う傍ら、先代もそう思っているんだったら、別に自分はお寺を出てもいいんだと。そう思った訳です。後を継がなくてもいいということが、先代の本心でないことは分かっている。でも冗談でもそう思っているということは、このお寺を出ても許されるんだと。都合よく理解した訳ですね。 でも今、牡丹の世話をすればするほど、先代の気持ちが分かってくるようになりましたね。いろんな思いが頭の中を去来して、やがて最終的にこんなことを思いました。

先代は息子が出て行っている長い間、毎日どんな気持ちで牡丹を育てていたんだろうなと。先の見通しもない、息子が継いでくれるという見通しもないなかで、それでも手を抜かないで一所懸命に牡丹を育てていたけども、どんな気持ちだったんだろうと。そう思った時に「あぁ…申し訳ない。親父すまなんだ…」という気持ちがグーっと湧いてきましたね。

牡丹の世話は順風満帆じゃないです。一所懸命やっても枯れていきます。植えても植えても枯れてしまって、思い通りにいかない牡丹がほとんどです。先代もそんな気持のなかで、それでも一所懸命やっていたんじゃないかと。しかも自分一人。助けてくれるはずの息子もいない。継いでくれるアテもない。そんななかで、一体どんな気持ちで牡丹の世話をしていたんだろうと。そんな気持ちになりましたね。

夢枕に立った先代が名前の分からない牡丹のことを…

それで、そんな気持ちの延長ですかね。ある時、夢を見たんです。ちょうど牡丹の咲くシーズン、たぶんあの夢の光景では4月の終わり頃。牡丹の花はいっぱい咲くし、世話もしないといけないということで、山門の前にある牡丹の花壇で、一所懸命作業をしていました。そしてふっと外を見たんです。すると、向こうから黒い法服を着た和尚さんが歩いてくるのが見えました。あれ、どこの和尚さんかねーと思いながら、でも作業を続けていた訳です。そして知っている和尚さんなら挨拶しないと、と思ってふっと見たら、まだ遠い所を歩いているんです。なかなか近づいてこない。歩いているわりには近づいてこないなと思って、また作業を続ける。そうして次にふっと見たら、もうそこまで来ているんです。え?って思いましてね。急にそこまで来ているから、どうなっているんだろうと。思っているうちにも、その和尚さんは階段をゆっくりゆっくり上がってくるんです。でも顔がよく分からない。姿は分かるけども、顔だけが分からない。それでやっと山門をくぐって入ってきて、はじめて顔が分かりました。それね、先代だったんです。

私は「親父やないかー!」と、びっくりしましてね。「親父!よう帰ってきてくれたなー、しばらくやなー」と。私も嬉しくて嬉しくて。それで、中でゆっくり話をしようと招き入れるんですけども、先代は「座敷いらん。いつもの居間でええからー」ということで、積もった話をまあー長々とするんです。

何とも懐かしい香りがしましてね。話はとめどなく続くんですけど、やがてふと、こんなことを思ったんです。「そや、この際や。親父からいま聞いておかんと。あの名前の分からん牡丹の種類、今度こそ分かるぞー!」と、内心ホクホクしているんです。先代に会えたことも嬉しいんですけど、どうやらまだ薄情なことに、自分の心の奥底では、牡丹の種類が分かるという喜びのほうが大きかったのかなと(笑)

でも、いきなりは聞かないんです。やっぱり楽しみは後に取っておきたいから、すぐに聞かない。それでいろんな話をして、それからおもむろに

「親父ところでな、ひとつだけ教えて欲しいことがあるんや」と。

「なんや、お寺のことか?」

「いや、ちがう。牡丹のことや」

「ほう、牡丹のことやったら何でも聞いてくれ。育て方か?」

「いやちがう。育て方も分からんけど、品種が分からん」

「あー、品種のことやったらオレは何でも知ってるで。ウチのは普通の品種ちゃうぞ。うちは関西牡丹いうて、宝塚や池田にしかない品種もいっぱいある。どこも持ってへんやつやから、ちゃんと品種維持せなあかんぞ」

「それは分かってる。で、名前が分からんやつ、ひとつだけあるんや」

「ほう、ひとつだけか。よう分かったの!」

「苦労したがなぁ」

とか言いながら。ちょうどその牡丹が咲いていましたので、先代を連れて行きました。そして

「親父さん、この花やねん」

「おおーこれか!お前もこの花ええと思うか!オレもこの牡丹が一番ええと思ってるねん。これは大事にしてたんやぞー!そうかー…まだ生き残ってたんか。ホッとしたわ。で、これはあとどんだけあんねん?」

「いや、これだけや」

「え?えらいこっちゃ」

「いや大丈夫や。補植株をちゃんと接ぎ木して持ってるから大丈夫や。次また植えよう思ってるねん。ただ、これの名前が分からんねん」

「そうか。ええ名前付いてんねんぞこれは!この牡丹は古典品種のなぁ、池田で戦前に作出された品種やで。これはなー、これの名前はな…」

と言ったときに、パッと夢から覚めてしまって、結局は分からなかったんです。残念でしたというやつ(笑)

だけども、いつも牡丹のシーズンになって、その名前の分からない牡丹の花を見ると、ものすごく先代のことを思うようになりましたね。これは先代のメッセージかも知れない。名前が分からないからいいんだよ、と。まあー恐らく、この先もずっと分からないでしょう。だから記号のまま、あるいは“親父の花”と名前を付けてもいいのかも知れませんね。まあ冗談ですけど(笑)

そんな気持ちでいつも、決して先代ほど上手ではないけども、それなりに、先代と同じように「牡丹が好きだ」という一念で育てています。日本全国に牡丹が好きな人がたくさんいます。だから、自分が大好きで育てている牡丹を共有してくれるお客さんが、一人でも多く来てくれることを楽しみにしています。